|

中国山西省の中部にある平遥城。この小さな都市は、西周宣王の時代(紀元前827年~紀元前782年)に創建され、2700年余りの歴史をもつ。史料記載によると、紀元前221年に中国で郡県制が実施されてから、ここはずっと県都所在地で、今でも明や清の時代の県都の様子がそのまま残され、中国の漢民族地区でもっとも完全に保存されている古城である。
平遥は、漢民族の伝統的な都市計画構想と様式にのっとって建造された県都で、壕内の城下は、市楼を中心に四つの「大街」、八つの「小街」及び72の曲がりくねった路地が交差している。市街の機能は明確に区分され、秩序ある配置をなす。市内の民居はすべて青レンガ、灰色瓦の伝統的な四合院造りで、完璧な左右対称をなす。とくにレンガを切って積んだ“窯洞(洞穴式の住居)”は、濃厚な郷土色を感じさせる。また壕内のあちこちに大小の寺廟が分布し、昔ながらの店舗が軒を並べ、古色豊かな建築物が明や清の時代の市井の繁華な様子をしのばせる。
巨大なレンガを切って建造された亀形の壕をもつ古城壁も建造の初期に土を固めて築かれた小さなものだったが、明の洪武3年(1370年)に、現在の規模に拡張された。600年余りの風雨に耐えて今も当時の勇姿を止めており、昔日同様、この土地を堅固に守っている。全長約6キロメートルに及ぶこの古城壁は、孔子の3000人の弟子と72人賢人をもじって、3000の射撃用の金口と72の見張り台をもつ。

平遥といえば、「晋商(山西省の商人)」と「票号(旧時の金融機関の一種)」に触れないわけにはいかない。平遥は、「晋商」発祥の地のひとつであると同時に、中国初の為替、預金、貸し付け業務を専門に扱う近代銀行の雛形「日昇昌票号」の誕生の地でもある。平遥は一時中国金融業の中心地となり、中国の近代金融史上、重要な位置を占めていた。
古城平遥は、漢民族の都市の優れた特徴をすべて保存しており、中国発展史における文化、社会、経済及び宗教発展の非凡で完璧な絵巻を人々に示してくれる。輝かしい歴史をもつ古城平遥は今も昔日と変わらぬ魅力にあふれている。 |