| 青春に悔いなし 日本のボランティア、中国で活躍 |
| 2006-12-21 |
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日本人約30人が19日に在日本中国大使館を訪れ、中国大使館と日本国際協力機関(JICA)が共催する、青年海外協力隊の対中派遣20周年を記念する式典に出席した。 久保田亮さんは海外協力隊員として河南省新郷市で野球のコーチを2年務めた。久保田さんは今年9月に日本に帰国し、現在はまだ仕事に就いていないという。「中国に行く前に自分の将来について心配はなかったのですか?」という記者の質問に対し彼は「ありません。ずっと日本以外の国で様々なことを試みてみたかったからです」と答えた。「中国での経験はどの様な意味がありますか?」の質問に対し、「中国に行って、どんな場所に暮らす人も皆同じであるとだんだん感じるようになりました。『日本人』と現地の『中国人』として交流したのではなく、人と人との交流、共に野球を愛する人として交流をしてきました」と述べた。 看護士をしていた石山洋子さんは、日本青年海外協力隊に参加し新彊ウィグル自治区阿克蘇(アクス)地区に派遣され、学生の70%をウィグル族が占める職業技術学院医学部で教師をしていた。石山さんは「新彊に派遣されたばかりの頃は適応できるかどうか心配があり、そこについてからもやはり困難に遭遇しました。しかし現地の人々は暖かく親切で、すぐにそこでの生活に慣れ、2年の間に新疆をすべて回りました」と述べた。 飯牟礼浩一さんは湖南師範大学観光学院で2年間日本語を教えた。彼は「新たなチャンス、新たな生活に挑戦するのが好きで、中国での2年間はとても楽しかった」と笑顔で語った。 中国風の服装で参加した松井愛子さんは、河南省開封市の幼稚園で2年間先生を務めた。松井さんは中国の民族楽器である葫芦絲(ひょうたん笛)を演奏し、大きな拍手を浴びた。ひょうたん笛は雲南省で購入し、演奏は河南で学んだという。 金裕美さんは湖南省の吉首大学で2年間日本語を教えた。金さんは中国学生との関係を語り始めると感動が思い出されたように「帰国する時に学生たちは2台の大型バスをレンタルし一緒に空港まで送ってくれました。そのような行為には言葉もありません。今でも毎日中国の学生とネットで交流しています」と述べた。 京都で自動車修理の技術者をしていた羽田一三男さんは、20年間のうち15年間を海外青年協力隊に携わってきた。羽田さんは「初めて協力隊員として中国に行ったのは1989年です。2年後には京都に戻りましたが、なんだか落ち着かず、再び中国に4年行きました。帰国後は青年海外協力隊に関係する仕事についています」と述べた。 海外でのボランティア経験が彼らの人生の道のりを変えた。中国での仕事や生活体験が中国との深い結びつきとなり、彼らは中日両国民が相互理解を深める媒介となった。青春に悔いなしと語る海外ボランティアたちの姿が忘れられない。(編集IA) 久保田亮さん:攀枝花野球クリニック 石山洋子さん:同僚と一緒につくる授業 飯牟礼浩一さん:青年招聘事業って・・・? 松井愛子さん:隊員も、子どもも、中国人老師も、本気で楽しんだ「日本の伝統遊び」 金裕美さん:張家界の子供の日本語教育 「人民網日本語版」2006年12月20日 |